2012年7月8日日曜日

フランツ・カフカ『変身』

フランツ・カフカ『変身』高橋義孝訳 新潮文庫


これは、虫になったグレーゴル・ザムザの物語ではない。
虫になったグレーゴル・ザムザをめぐる、家族の物語だ。


「ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した」

あまりにも有名なこの一節から始まる、20世紀文学の傑作と言われる『変身』。

陰鬱な物語と思って読み始めたが、案外そうでもない。

冒頭の一節の通り、ある朝、グレーゴル・ザムザという男は、自らが虫になっているのを発見した。しかしパニックに陥るでもなく、グレーゴルは極めて落ち着いて、自分の仕事―外交販売員―について長々と思いを馳せるのだった。「やれやれおれはなんという辛気臭い商売を選んでしまったんだろう…」といった具合に。そして、寝坊してしまったこと、朝の電車に乗り遅れてしまったこと、そしてそのうち支配人がグレーゴルを呼びにやってくるであろうことを気に掛けたのだった。

この出だしのシュールさに、ある種の人間は必ず心掴まれるだろう。
人間が虫になるなどというあり得ない状況にも関わらず、日々の仕事について考えてしまう。この妙な現実感に、私は納得してしまった。


『変身』は、主人公グレーゴルの物語ではなく、虫になったグレーゴルをめぐる家族の物語である。

グレーゴルには、一緒に住む家族がいる。両親と妹だ。グレーゴルは父親の借金のために懸命に働いて一家を養ってきた。バイオリン好きな妹を音楽学校へ入れてやろうという計画も温めてきた。家族思いの、ごく真面目な人間が、理由もなく虫になってしまったのだ。

物語冒頭で、家族は虫になったグレーゴルを発見し、衝撃を受ける。
家族はグレーゴルをひとまず彼の部屋に監禁し、働き手の居なくなった家計をなんとか回そうと動き出す。

最初、グレーゴルを恐れていた家族だったが、次第に虫となった彼の存在にも慣れていく。特に妹は、グレーゴルの世話役として食事の運搬や掃除まで行った。天井や壁を這いまわる遊びを始めたグレーゴルに気を配って、邪魔になる家具をどかしてやろうという発案までした。母親にとっては、虫になったとしても息子は息子。最初は虫になったグレーゴルを見て腰を抜かした母も、グレーゴルに会いに行くと主張したのである。一方のグレーゴルは、家族に気を遣って、日中は窓際に行かないようにしたり、妹が入ってくる時には麻布をかぶるなど、言葉は通じなくとも態度で「危害を加えない」という意志を示した。

そんな具合に、途中までは「家族愛」の話ともとれる。

しかし生活が厳しさを増す中、ぎりぎり保たれていた我慢は、ついに限界に達し、物語は破綻へと向かう……


この先が一番の読みどころなので、ネタバレは差し控えておこう。

一点だけばらしておきたいのは、『変身』の結末は、意外にも「ハッピーエンド」(っぽい)ということ。もちろん悲劇的な面もある最後だったが「これでよかったんだなあ」っと、どこかほっとする結末である。

全体を通しても本作はユーモアに満ちた作品で、一般に持たれていると思われる、鬱・孤独の代名詞(?)的なイメージとはかけ離れていると感じた。


食わず嫌い、読まず嫌いはいかん。
まずは読んでみよう。
「文学」はそうすることでしか発見できないのだから。



EmoticonEmoticon